長男は字が汚い。
昔はもっと汚かったし、今も字が汚い。
だから長男、小さい頃は漢字練習が大の苦手だった。
長男が通った公立小では、漢字学習にはさほどうるさくなかった。
市販のノートに1字ずつ漢字を書いて練習する、という昔ながらの形式である。
それが次男の時代になると、漢字ドリルだけでなく漢字練習用ノートも業者のものを買わされるようになった。
業者が発行する漢字練習ノートには、漢字をなぞって練習する欄がある。
次男は漢字のなぞり練習が苦にならないタイプだ。そして、なぞり練習で漢字の形を覚えることができるタイプである。
こういうタイプは女児に多いのだが、次男は男児の割に文字なぞりが上手い。
次男はもともと、ひらがなやアルファベットをなぞるのが好きで、小学校入学のだいぶ前からひらがなをなぞって遊んでいた。
ところが長男は違った。
長男はいくら文字のなぞり練習をしても、文字の形が記憶に残らないのだ。
長男は手が不器用。
長男の場合、文字をなぞるだけで精一杯。文字が線からはみ出ないように神経を集中するだけで終わってしまい、文字の形の認識まで頭が回らないのである。
今年の次男の担任の先生は「なぞり学習」が好きである。
先日も大量の「文字なぞり」の宿題が出された。
なぞりが得意な次男は難なくこなしたが、器用な子ばかりではない。「なぞり学習」にうんざりしている子どもはクラスにたくさん居るはずだ。
苦手な子にとって「なぞり学習」は単なる「作業」である。
苦手な子にとって「なぞり学習」は「運針」と同じ。手の目の協調運動になるけれども、文字の形の認識にはつながらない。
「なぞり学習」をしなくても、漢字を覚えるための代替手段も今はたくさんある。
なにせ20年ちかく特別支援教育が行われてきたのだ。漢字を覚えられない子への対策は蓄積してあるはずだ。
その蓄積を通常学級にも普及してもらいたい。
「なぞり」が苦手な子どもには代替手段を使って漢字を学習させてあげたい。
漢字学習ひとつとっても、「自分が得意なことは何か」を把握したうえで「この方法だったら覚えられる」方法で漢字を覚えたほうがいいに決まっている。
学校にはいろんな学習方法をもっともっと取り入れたほうがいいのだ。
ところが学級王国が、代替学習手段の利用を阻む。
小学校は学級担任制の「学級王国」なので、担任が指示するやり方が「絶対」になってしまう。
だから私は学級担任制の廃止を望んでいる。
次男が通う公立小では、知能テスト(WISC)を受けて支援が必要と認定された子だけ特別支援教育を受けられる。
それ以外の子どもは学校で代替学習手段に触れる機会がない。
でも、必要な子には積極的に、学習の代替手段を提供したほうがいいと思う。
特別支援教育との垣根は崩したほうがいい。
これからの時代に必要なのは、指示された方法にしたがってやる人ではない。
必要な方法を自分で見つけられる人が求められる時代だ。