早いもので、あと1か月半で4月になる。
今年も入学シーズンがやってくる。
小学校入学のタイミングで「学校でこういう点に配慮をしてほしい」というお願いの手紙を準備するよう、療育機関からアドバイスされた人は多いだろう。
「合理的配慮のお願い」の手紙は、こどもの様子をよく知ってもらうために、保護者がこどもの特性を文書にまとめてこどもの担任の先生に渡すものである。
「合理的配慮をお願いする手紙」は嫌われるのか
でも実際、長男の小学校入学に際して、長男の様子についてまとめた文書(手紙)を担任の先生に渡したところ、あまり良い顔をされなかった。
今になって小1当時の連絡帳を読み返してみると、お願いしたいことがワンサカ連絡帳に書いてある。
「合理的配慮に関する手紙や連絡帳でのお願いは、担任の先生にとって負担だったかもな」と今振り返ってみて思う。
小1の夏以降は、長男について連絡帳で伝えることは激減した。
小2以降は連絡帳で伝えたいことはなかった。
支援が要らない子だって苦しいのだ
たとえば1クラス35人のうち10人から「配慮のお願い」という手紙をもらって個別対応をお願いされたら、担任の先生の業務量は相当多くなる。
でも、現状はそれに近い状況になっていると思う。
次男のクラスには、なんらかの支援が必要な子どもが少なくとも7,8人いる(ように見える)。
なんらかの支援が必要な子に対しては担任の先生が個別に面談したり、親が連絡帳を介して文書で連絡していると噂で耳にする。
次男のつぶやき
支援が要らない次男については、学校側に個別にお願いすることは何もない。
支援が要らない次男については、学校もあまり気に留めることはないだろう。
けれども、正直、それでいいのか、という気がする。
長男が特別に学校に気に留めてもらったからそう思うのかもしれないが。
今の学校は、支援が要らない子にとっても我慢を強いられていて、とても苦しいのだ。
次男は言う。「僕は学校が嫌いなわけじゃない。僕は学校が怖いんだよ。学校ではやりたくないことをやらされる。食べたくないのに給食を完食させられる。」と。
クラスの過半数を占める「支援が要らない子」だって、きちんと気にかけてあげたほうがいいんじゃないか、と思うのだ。