特別支援教育はブラックボックス

我が家の長男は結局、小・中・高と特別支援学級(教室)のお世話になることはなかった。

今は、東京都内の各公立小に「特別支援教室」が設置されている。

けれども、長男が2014年に小学校に入学した当時は「特別支援教室」は無く、その代わり、何校に1校かの割合で特別支援級が設けられていた。

長男が通った公立小には特別支援学級がなかったので、通級する場合特別支援級がある近隣の小学校まで保護者がこどもを送り届ける必要があった。

当時の私はフルタイム勤務だったので、通級のたびに会社を早退して休みたくなかったし、長男は通級に行く必要もないと思っていた。

なによりもまず、特別支援教育(公教育)を信用していなかったから、通級に通うのはムダだと思っていた。

だから長男は支援級に通ったことがない。

私も、こどもたちが支援級で授業を受ける様子を見たことはない。

 

特別支援教育で何をやっているのだろう

特別支援教育で何をやっているのか、部外者はまったく分からない。

でも、これって、とても危険なことだと思う。

特別支援教育にはそれ相応の予算がついていて特別支援担当の先生もいるのに…特別支援担当の先生を増やしたことが教員不足の原因のひとつになのに…利用者以外は、そこ(特別支援教室)で何が行われているか、まったく公開されていないのだから。

 

特別支援教育は閉鎖的だ

長男が小学生だった頃から特別支援教育は閉鎖的だった。

それは今でも変わらない。

「支援級でどういう学びをしているのか」の説明が学校からあったのは1度だけ。

長男が通った公立中学から「支援級で使っている教材(字をきれいに書く練習)について」を説明するプリントをもらったことは1度だけあった。

たった1度だけだ。

次男が通う公立小にも特別支援教室がある。けれども、そこでの学びの内容については、特別支援教室の利用者以外は誰も知らない。

「支援教室に通っていることを知られたくない」保護者がいるからだろう。その気持ちもよくわかるが。

 

息が詰まるような普通級がまず問題だ

「支援級に通う子たちは授業中、立ち歩いても、勉強以外のことをしていても怒られない」という保護者のコメントをネット上でよく見かける。

特性があるから・授業態度を叱ると二次障害が起きるから、という理由でそうしているらしい。

確かに、普通級に居ると息が詰まる・支援級が息抜きの場になっている子もいるから仕方ない面もある。

でも、まず解決すべきなのは、普通級の「息が詰まるような」雰囲気だ。

息苦しさを感じている子はひとりではないはず。

 

特別支援教育がブラックボックスになっている

特別支援教育はスクールカウンセラーや心の相談室と同じだ。

特別支援教育もスクールカウンセラーも心の教室も「利用しないに越したことはない」≒「存在をできるだけ明らかにしたくない」≒「タブー」だと学校は判断している、ということだ。

特別支援教育自体がブラックボックスになっていて「特別支援教育で何をやっているのか」を利用者以外は知らないという現実。

「特別支援教室で何をやっているのか」をきちんと公に説明しない限り、特別支援教育は変わらない。

 

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