わたしが学校に不信感を持った最初のきっかけは、長男が小学校に入学する前に近くの公立小を見学に行ったときのことだ。
見学に行った公立小の副校長に「うちの子は支援を受けています」と切り出したところ、すぐさま「うちの小学校に来ないでほしい」・「隣の小学校に行った方がいい」と言われたのだ。
要支援児の保護者は、私と同じ経験をした人は少なくないと思う。
長男は、食事や排せつなど身辺自立はほかの子と変わらなかったし、文字や数の認識も大きな遅れはなかったし、意思疎通はできるし、ほかの子とトラブルになるタイプではない(今もそうだ)。
それでも「要支援児だ」と切り出しただけで、一刀両断に拒否された。
まあ、本音が出ちゃったんだろう。
その当時、その副校長がいる小学校では、支援が必要な子に振り回されていて大変だったのかもしれない。
好意的に解釈すれば…自分(副校長)がいる小学校は上手く回っていないけど、隣の小学校はきちんとしているからそっちに行った方がいい、と暗にほのめかしてくれたのかもしれない。実際、長男はその副校長の提案通り、見学に行った小学校ではなく、その隣の小学校に入学したのだが、これが「当たり」で本当に良い小学校だったからだ。物事は好意的に解釈したほうが気分的に楽だ。
今もときおり、次男が学校から特別支援教育に関するチラシを持ち帰ってくることがある。
でも、チラシなんか配っても、どうせ、本音は「要支援児は迷惑」なんだろうよ。
不登校・学級崩壊・精神疾患での教師の休職や退職による教師不足・教員採用試験での低倍率…問題山積の今の学校では、手がかかる子どもは一人でも少なくしたいというのは分かる気もする。
でも、そんなふうに公立小から拒否された長男も高校生になって、自分でパワポを使ってプレゼン資料を作ったり、自分でレポートをまとめて提出したりできるようになった。
人がどういうふうに成長するかなんて、小学校入学時点では分からないものだよ。