何年か前の婦人公論を図書館で借りて読んでいたら、読者からの投書欄があった。
その投書欄の中に、印象に残る投書(小学生の孫がいる70歳の女性からの投書)があったので要約する。
まさに私が感じていることを代弁してくださっている。
次男が通う公立小学校も、昔より難しいことばかりやろうとする。
たとえば昔は小3に出していた作文の宿題を小2で出している。こどもたちの国語力が全体として低下していると言われているにも関わらず、先取り教育みたいなことを公立小学校でやりたがる。
たとえば、次男が通う公立小学校では「小1のはじめから作文の宿題を出す」という暴挙をやらかした。詳しくは以前書いた通り(公立小:呆れた国語教育・公立小:大切なことだけ、やればいいのに・国語教育:早くやればいいってもんじゃない)。
ところが、学校側はオカシイことしているとぜんぜん思っていない。素晴らしいことをしていると思っているらしい。救いようがないね。
小学校入学時点では、ひらがなの読み書きはできても、自分が思ったことを文字にするのが難しい子が少なくない。その時点では文字と音が十分につながっていないからだ。
まず、音読→文章の写し書き→自分の思いを口頭で発表すること。そのあとで、自分の思いを文章化するというプロセスを経るのが自然な流れだ。
小学校1年生で1年間かけてじっくりと文字と音を連結させる経験をしてから作文を書き始めるほうが、こどもにとっては負担が少ないのに、と残念に思っている。
小学校入学早々に作文の宿題なんか出したら、うまく書けない子も多いだろう。
小学校入学早々「僕は作文が書けない」という思いを子どもたちに抱かせてはならない。
学校はいったい、どこをみてカリキュラムを作っているのだろうか。
こどものほうを見ていないことだけは明らかだ。