先日、別の記事(魅力的な私立高校が少ないという問題)に、
都内には「魅力的な私立高校が少ない」という個人的な感想を書いた。
都内の私立高校は建学の精神がすっかり崩れてしまったところが多い。
見学の精神が崩れたのは時代の変化によるもので、
仕方がないことではある。
魅力的な都立高校も少ない?
ただ、魅力的な高校が少ないのは私立高校だけではない。
都立高校も似たようなものかもしれない。
都立高校も最近は私立高校と同様、
進学実績の良さをアピールしているところが多い。
進学実績のことばかり宣伝しているなんて、
都立高校も私立高校もまるで予備校みたいだ。
でも、そのほうが保護者受けする。
それに、ただなんとなく漠然と高校に通うより、
少しでも勉強してもらったほうが将来のためになると保護者が思うのはもっともだろう。
もちろん、進学実績が良いことは悪いことではない。
進学した高校の進学実績が良ければ、
子どもの選択肢が広がる。
けれども、進学実績を上げたいあまり、
私立高校の特進コースみたいに宿題漬け・課題漬けで進学実績が上がり、
結果、レベルが上がっている都立高校もある。
今は都立高校でも私立高校でも勉強漬けなのだろうか?
「自分が今、中学生だったら、どの学校を選ぶだろうか?」
そう考えると「学費の安さ」という点では都立高校に分があるものの、
通いたいと思える学校が少ないのは都立高校も私立高校も同じだ。
もっと言えば、
魅力的な学校が少ないのは高校に限った話ではなく、
通いたいと思えるような学校なんてそうそう見つからないものかもしれない。
高校生の時期
振り返れば、
高校生の時期には
「自分が何者であるか」とか
「どの道に自分の興味を見出させるか」を
じっくり考える時間が必要だと思う。
じっくり考える時間がないままに課題や宿題に追われて大学に進んでも、
「何のために大学に進んだのだろう?」
と後で後悔する気もする。
我が家の息子たちには、
高校生の時期に色々なことに試行錯誤して自問自答する時間を与えてあげたい。
不登校経験者だといわれている著名人
思えば、著名な芸術家(以下敬称略)は高校時代に不登校を経験している人が多い。
彼らは高校生のときに色々思い悩む時期を経て、その後の進路を見出しているようだ。
谷川俊太郎(詩人)
谷川俊太郎は御年87歳(2019年現在)。
都立豊多摩高校時代に不登校を経験し、その後、同校定時制に転籍したうえで卒業している。
谷川俊太郎は不登校新聞のインタビューで学校嫌いを公言している。こういう発言を聞くと、学校に合わなくても生きる道があるんだと勇気づけられる。
なお、不登校新聞のインタビューによれば、谷川俊太郎は戦争中に軍国主義だった教師が戦後コロッと変わったことに衝撃を受けたそうだ。
後述する石原慎太郎と同様、この年代の方々は、戦中と戦後で教師の態度が一変したことにカルチャーショックを受けた人が多い。
石原慎太郎(作家)
石原慎太郎も谷川俊太郎と同年代。石原慎太郎も県立湘南高校在籍時に1年間休学している(宣戦布告)。
この石原慎太郎のブログ(宣戦布告)によれば、敗戦を機に、高校の教師が役人になることを強要しはじめたことに石原慎太郎が嫌気が指して学校に行かなくなったようだ。
宮本亜門(演出家)
宮本亜門も高校時代に不登校を経験したことを公言している。
宮本亜門は不登校新聞のインタビューにて自らを「ひきこもりの先駆者世代」と評し、「生まれ変わっても学校には戻らない」と話す。
内田樹(思想家)
内田樹が日比谷高校を中退し、中卒労働者として働いた経験の後、大検に合格してから東大に入学したのは結構有名な話と思う(1966年の日比谷高校生・吉田城と新井啓右の思い出)。
内田氏は高校卒業後に大学に進学するような「いわゆるふつうの高校生」とは違う苦労を味わった後に大学に入学しているから、ご本人はきっと大変だったのだろう。
けれども、こういう特異な経験は希少価値で、
私にはとてもカッコ良く思える。
まとめ
我が家の息子たちが上述したような著名な芸術家になるとは到底思えないが、
芸術家に限らず、
高校生は試行錯誤・自問自答する時期だと思う。
自分の話で恐縮だが、
私自身、高校時代は熱心に勉強もせずに過ごし、
高3で受験した大学にたまたま受かって大学に進学したので、
進路をじっくり考えずに大学生になってしまった。
だから我が家の息子たちには、
どんどん留年しろ・不登校しろとまでは言わないが
(我が家のお財布を考えると、そんなことはとても明言できない)、
高校時代は一度立ち止まって考えてほしい。
たかだか1、2年の空白期間なんて気にせず、
多少回り道をしてでも、自分の進むべき道を見出してほしい。