以前書いた記事、(書評)神田橋條治 精神科講義で書ききれなかったことがあった。
それを今回補足する。
『神田橋條治 精神科講義』を読み返して、改めて気付いたことがある。
全体を通してサッと読んだときには気付かなかった。
精神科に限定されない、とても大切な話がこの本に書かれていることに気付いたので、今回取り上げることにした。
「正しい治療」と「治療を工夫しながらする」の違い
『神田橋條治 精神科講義』には「正しい治療」についての神田橋先生の見解が示されている。
「正しい治療」に関する神田橋先生の見解
・「正しい治療をやること」と、「治療を工夫しながらやっていくこと」とは本質的に相容れない。
・正しい治療=「これをして、ダメなら次にこれをして、それでもダメなら次にこれをして、それでもダメなら難治性と診断するやり方」である。
・エライ先生は権威だから正しい治療しかしない。本なんかを書いている権威の先生のところで診察してもらっても良くならないことが多い。なぜなら、権威ある先生は正しい治療しかしないから。
・「工夫しながら治療をやっていく」と、「正しい治療をしなかったから治らなかった」という理由で患者から訴えられるリスクを抱える。
・一方で、エライ先生のように正しい治療だけをしていれば、「治らない」と患者から訴えられたとしても「正しい治療をしました」と反論できる。
私見
AIの台頭
正しい治療はそのうちAIに取って代わるだろう。
正しい治療、つまり「治療1→ダメなら治療2→ダメなら治療3→難治性と診断する」やり方ならば、AIにもできる。
正しい治療方法をコンピュータにインプットしておけば、あとはAIが正しい治療を選択する。
そうなれば人間の医師は必要なくなる。
そう考えると、人間の医師がAIとの差別化を図るためには「工夫しながら治療をやる」しかないのかもしれない。
けれども、工夫しながら治療をすると「正しい治療をしなかったから治らなかった」と患者から訴えられる可能性がある。
訴訟リスク
それでは訴訟(患者から訴えられること)のリスクを減らすにはどうしたらよいのだろう?
訴訟リスクを減らすには、医者が「工夫しながら治療をやる」ことに患者が納得していることが必要だろう。
現在、神田橋先生のところに診察しに来ている患者の大半は「ほかの病院で正しい治療を受けてきて治らなかった患者」とのことである。
つまり、現在、神田橋先生は「正しい治療を受けたけれども一向に治らない」患者ばかりを診察しているので、「正しい治療を受けても治らないので、正しい治療は必要ない」ことへの同意が患者から得られているに等しい。
未来の医療は「正しい治療を行う」AIと、「正しい治療を受けても治らなかった患者を工夫しながら治療する」人間の医師だけが生き残るのだろうか。