不登校予備軍の次男(現在は登校している)が今後、通うかもしれないので、自治体の適応指導教室を見学しに行ってきた。
以前から「適応指導教室」という場所に興味があった。
いったいどんなことをしているのだろうか?と。
適応指導教室とは
適応指導教室というのは、簡単に言うと、不登校の子どもたちが学校の代わりに勉強したり、悩んでいることを相談したりできる施設である(不登校の子どもに未だ「学校復帰」を目標とする「適応指導教室」-政策と現場が乖離する(学校)適応指導教室という実態)。
教育委員会が適応指導教室を運営していることが多いそうだ。
そもそも「適応指導教室」という名前に違和感がある。
「適応指導教室」=学校に「適応」するように子どもを「指導」する「教室」である。
「指導してやっている」みたいな「上から目線」な感じ、なのだ。
うちの自治体の場合「適応指導教室」は自治体の教育委員会が運営していることからして、適応指導教室は上手く機能していないだろうと予想していた。
「学校大好きな」学校関係者が、「学校が苦手な」不登校のこどもたちの対応を適切にできるわけないと思っていたから。
適応指導教室:退職校長の再就職先(うちの自治体の場合)
今回見学した「適応指導教室」は学校の教室と同じように、机といすが並んでいた。
「教室と同じ雰囲気」というだけで拒否反応を起こす子はいるだろう。
今回見学した適応指導教室の職員はシニア層(60歳以上のおじさんたち)だった。
うちの自治体の場合、「退職校長」が適応指導教室の職員になっているようだ。
なぜなら、おじさんたちが下げているネームプレートの名前がどれも、見たことがある名前ばかりだったからだ。近所の小中学校の校長だった人たちだ。
そのせいだろう、職員の対応がどことなく「上から目線」なのだ。
全国的に見ても、退職教員が適応指導教室の教員になるケースは多いようだ。
教育委員会が適応指導教室を運営している関係上、適応指導教室の常勤職員の75%は退職教員だそうだ(不登校の子どもに未だ「学校復帰」を目標とする「適応指導教室」-政策と現場が乖離する(学校)適応指導教室という実態)
長男が通った公立中学の元校長が、適応指導教室の職員になっていた!
驚いたのは、長男が通っていた公立中学の元校長が、適応指導教室の職員として働いていたことだ。
不登校対策に無関心だった元校長が、堂々と、適応指導教室の職員として働いている。
口あんぐり。
不登校を放置していたのに
長男が公立中学に通っていた頃、そこの公立中学では1クラスに少なくとも3,4人、不登校生徒がいた(公立中学:不登校生徒の割合)。
校長として公立中学に在職している間、その元校長はろくに不登校対策をせず、放置していた。
保健室登校は認めません!
当時、長男が通っていた公立中学には、不登校生徒の居場所が学校に無かった。
学校内に不登校生徒の居場所(保健室や心の教室など)を設けるかどうかは校長の裁量らしいが、その元校長は、保険室登校すら認めなかった。
長男が公立中学に通っていた当時、保護者会で生活指導主任が「保険室登校は認めません!病気でない人は保健室を利用できませんので帰宅してください」と堂々と発言したのが忘れられない。
当時、その発言を聞いて驚愕した。
これだけ不登校生徒が増えているのに、この公立中学はそれを放置するのか、と思った。
「不登校対策に無関心」だった元校長が、再就職先として適応指導教室で働いている。
どういう神経をしているのだろう。
適応指導教室の職員にやる気がない
適応指導教室を見学して感じたのが「職員にやる気がないこと」だ。
職員(退職校長)が「適応指導教室に通い始めても長続きしないお子さんが多いですね~」と話していた。
他人事である。
「たとえ学校に復帰しなくても、義務教育修了後の将来への道筋をつけられるようにしよう」という気概は残念ながら感じられなった。
適応指導教室の職員=定年退職後の楽ちんな仕事、みたいな感覚かな。
フリースクールのほうがいいかも
適応指導教室がこんな感じならば、来なくなる子が多いのも頷ける。
フリースクールのほうがいいと思う。
こんな適応指導教室では税金の無駄だ。
でも、経済的な事情でフリースクールには「値段が高くて」通えない子どもたちがたくさんいることを思うと、こんな適応指導教室でも「無いよりはまし」なんだろう。
定年後のおじさんたちを再雇用して職員として使うのは止めたほうがいいと思うよ。
学校関係の施設は、学校関係者で固めたがる。民間の人が学校に入るのを嫌がる。
ましてや適応指導教室は、所属先の小中学校と連携をとらなければならない。だから学校との対応に慣れている退職教職員を使いたいのだろう。
でも、退職教職員は立場上子どもたちに寄り添うことはないと感じた。
適応指導教室よりもフリースクールのほうが子どもたちに寄り添ってくれると思う。