2022年も秋になり、コロナ禍もすっかり「当たり前の日常」になってしまった。
長男が通う中学校でも少しずつ、修学旅行や合唱コンクールなどの行事が元通り開催されるようになってきた。
行事での集合写真に写っている生徒の数を数えてみると、写真に写る生徒の数が、在籍生徒数よりも少ないことに気づいた。
修学旅行の集合写真を見て、行事に不参加の生徒の数を数える私のような保護者が居るとは、学校側はまさか思ってもみないだろう。
行事での集合写真に写っている生徒数から判断すると、長男が通う公立中学の中3生のおよそ1割(10%)の生徒は行事に参加していない。
10人に1人の生徒は、学校にまったく来ていないか、あるいは、遅刻して来たり、ほかの生徒が学校に居ない時間帯に学校に来たりしている(らしい・長男によれば)。
10人に1人の生徒が不登校、ということは、不登校の生徒がクラスに3人か4人居る、ということだ。
保護者の私から見ても、長男が通う公立中学のように、大量の宿題を課すことで生徒を追い込み、
同調圧力で一致団結を強いる環境に身を置きたくないという不登校生徒の気持ちは、痛いほどよく分かる。
もはや10人に1人の生徒が行事に参加しないにも関わらず、「みんなで力を出し切った」や「クラスで一致団結」などの言葉が学校だよりに並んでいるのを見ると白々しく思える。
このまま不登校生徒の割合が15%、20%…と増えていけば、「クラスのみんなで一緒にひとつのことをやる」ことの意義は少なくなっていく。そうなると、不登校の生徒を見て見ぬふりで「例外的存在」として扱ってきた、今までの学校のやり方は通用しなくなるはずだ。
そこまで行きつかないと、公教育はやり方を考え直すことはないのだろうか。