佐藤光展著「なぜ、日本の精神医療は暴走するのか」(講談社・2018年)を読んだ。
現在、精神科に縁がなくても、誰もが高齢になって認知症になり、運悪くこの手の病院に入院すると薬漬けにされる可能性があるのだ。ぞっとする。
患者の身体拘束・育て直しと称してこどもを薬漬けにする医療・殴る精神科医…など、精神医療の闇がこの本「なぜ日本の精神医療は暴走するのか」で取り上げられている。
先日取り上げた「ルポ・収容所列島 ニッポンの精神医療を問う」と合わせて読むと良いだろう。
個人的に最も印象に残ったのは「知的障害がある男性が施設で薬漬けにされて死亡した」ケースだ。
亡くなった男性は、教師をしている両親のもとで育てられ、落ち着いた生活を送っていた。
両親の職業柄、自宅には多くの学生が出入りしていたので、男性はたくさんの人と交流する生活を長年送っていた。
ところが、男性の父親が亡くなり、男性の母親も高齢で病気により男性の面倒をみることが難しくなったため、男性が施設で暮らし始めたところ、投与される薬の投与量が徐々に増え、男性は施設で亡くなった。
両親が元気なうちは薬とは無縁の健康的な生活が送れるのだが、両親が面倒を見れなくなり、ひとたび、施設のお世話になると薬とは縁が切れなくなる。
一般に、福祉施設は慢性的な人手不足で、利用者に対してきめ細かな対応をすることが難しく、利用者に服薬させて感情をコントロールしてもらうことになる。
「人手不足」を理由に薬物に頼らざるを得ないのは園や学校と同じだ。
親が元気なうちは子の面倒を親がみれるからいい。けれども、親が高齢になって子の世話ができなくなると、結局、預けられた施設で子は薬漬けにされるのが現実である。
幼稚園・保育園・学校・職場・福祉施設・介護施設まで、最近は「薬物」以外の選択肢はないようだ。
でも「薬物」の費用は税金から出ていることを忘れてはならない。
そして、誰もが年をとり高齢になるが、認知症になると運悪くこういう病院に送り込まれる可能性があることも忘れてはならない。