新学期になって次男の担任教師が変わった。
次男の今年の担任教師は、昨年の担任教師とは何から何までやり方が違う。
公立小学校では先生によってやり方がかなり違うことは、長男が小学生の頃に経験済みだった。
でも、ここまでやり方が激変すると、戸惑う子もいるはずだ。
先生によってやり方があまりにもバラバラで、果たして良いのだろうか。
私学では決して許されないだろう。
公立学校の教師は数年ごとに異動があるから、統一した教え方を先生に望むのは難しいかもしれないけれど、長男の時はここまで極端ではなかった。
学習に関しては、今年の担任は昨年の担任に比べてはるかに厳しい。
昨年の担任は、宿題の丸付けもさほど熱心ではなかった。
宿題を丸付けするのは1週間に1回か2回程度。
漢字ドリルを1か月くらいチェックしていないときもあった。
でも、宿題がゆるくても別に問題はなかった。
ところが今年の担任教師は宿題のチェックが厳しい。
漢字ドリルは毎日チェックしている。
そして、厳しいのは子どもに対してだけではない。
親にも厳しい。
子どもがきちんと宿題を出しているかを親がきちんと確認することを求める。
まるで私立小学校の教師みたいだ。
本当に、いろいろな先生がいるものだ。
私立小学校は教育熱心な保護者しかいないから、こういうやり方は保護者から歓迎されるだろう。
ただ、次男が通う公立小学校ではどうだろうか。
働く親が増えていて、昔みたいに親が子どもの学習について細かくサポートできなくなっているのは確かだ。
昨年の担任教師と今年の担任教師を見ていて思うのは「先生というのは基本的に他の先生のやり方に対して不干渉」だということ。
学級運営のやり方は先生ひとりひとりが自分で試行錯誤して作り上げるもので、別の教師が口を挟むものではない、というのが学校の常識らしい。
自分で試行錯誤して「自分色の教え方」を作り上げられることが「小学校の先生」という仕事の面白さ、のようである。
けれども、このやり方が通用するのは、教員採用試験の倍率がある程度高くて、常識があって優秀な人材だけが先生になることが条件である。
今みたいに「ほぼ全員採用」みたいな状況でこのやり方で人材育成をすれば、トンチンカンな学級運営でこどもたちを苦しめる学級運営がまかり通る。
ひとりの教師がトンチンカンな学級運営をしていても、同僚の教師も管理職も何も言わない(言えない)のが学校、というものらしい。
昨年1年間、次男が通う公立小を眺めていてそう実感した。
こういう経験をすると、熱心で優秀な先生方には申し訳ないけれども、学級担任制は廃止したほうがいいと思うのだ。
小学校は教科担任制へと移行する方向のようだ。近いうちに小学校3年生4年生にも専科の授業が導入される。
教科担任制にしたほうが、とんでもない学級運営でつぶれる子どもが出るのを防げるだろう。