長男が特別支援の世界と関わりがなくなってから4年くらい経つ(と思う)。
長男が保育園児→小学生→中学生と成長するまで、特別支援教育は拡大成長を続けてきた。
真に支援が必要な人はいっぱいいるから「特別支援」という制度が必要なことは言うまでもない。
でも、なんでもかんでもの拡大は必要なのだろうか。
特別支援のひと
特別支援の世界で働いている人は独特の雰囲気がある。
長男はこの雰囲気があまり好きではない。そのせいか「みんなと同じように高校に進学したい」と長男は言う。
確かに、最初に特別支援の世界に踏み入れるとき、親は不安でいっぱいだ。こどもについて不安を抱えている親に対して、特別支援の世界の人たちはとても優しく暖かく迎えてくれる。
けれども、そこから出ようとすると態度が急変する。なんだか宗教団体と同じだ。宗教団体に限らず、組織というものはみんなそうかもしれない。
ある支援者との思い出
長男がまだ小学校に入学する前のこと。
「小学校中学年(小3か小4)になったら支援級に移ること」を、ある支援者から提案されたことがある。
「小3か小4で授業についていけなくなるから、いずれ支援級に移ることを考えておいたほうが良い」
そう言われた。
こうやって呪いをかける支援者は多い。
「良い方向の呪い」ならば嬉しいし大歓迎だけれど、「悪い方向の呪い」をかける支援者のほうが圧倒的に多い。
まだ小学校にも入学していないのに、今から「支援級に移れ」と提案されても…と思い、提案を断ると、ものすごい形相で睨まれた。
その支援者は「長男の将来を思って」よりも、「自分たちの村(=特別支援)に入ることを拒否されたこと」に腹が立った。そう感じた。
その後も特別支援の世界の人たちと関わることがあったけれども、やっぱり特別支援の世界の人たちは独特の雰囲気がある。
最近ではフリースクール等にも臨床心理士が働いているところがある。そういうフリースクールや単位制高校も特別支援と同じような独特の雰囲気がする。
学校の勉強について思うこと
長男、今のところ低レベルなりにも中学校の授業についていっている。
国語については、中3になって漢字の苦手さがかなり薄くなった。相変わらず字は汚いが、漢字を覚えることへの抵抗は薄らいでいる。
算数(数学)については、確かに小3や小4のときは勉強についていくのが大変だった。
さらに、小5や小6の算数では色々な概念が登場するので、そういう概念を理解するのが難しかった。
けれども、中学数学は小5・小6で習う単元の焼き増しだ(理科も社会もそうだ)。
「中学校3年間じっくり時間をかけて勉強すれば、小5・小6のときには理解できなかった概念が少しずつ理解できるようになる」ことを知っている支援者はどのくらい居るのだろうか。
実際、長男は小3~小6のときより、中学生である今のほうが数学を理解できている。
長男のような「のんびりタイプ」は理解に時間がかかるのだ。
一概に、中学校=勉強が難しいと思い込んではいけない。
特別支援は必要だったのか
果たして長男にとって特別支援は必要だったのだろうか。
長男が小さい頃は早期発見・早期療育が叫ばれ、ビジョントレーニングを受けたりした。
けれども、そんな特別なことをしなくても、成長する子は成長するんじゃないか、とも思う。
とはいえ、やって後悔するよりも、やらないで後悔するほうが、後で後悔する度合いは大きいのも確かだ。
あの時わたしを睨みつけた支援者は、今の長男の姿を見ても支援級に移れと言うだろうか。