川崎と練馬で独身の中年男性が殺人する/される事件が最近起きた。
どちらも、親族と同居する独身の中年男性が関与した事件なので、事件の背景が色々と取り沙汰されている。
被害者/加害者である中年男性はどちらも定職に就いていなかったそうだ。
どちらの男性も人付き合いが上手なほうではなかったようで、自分のエネルギーを向ける対象がなかったのかもしれない。
2つの事件のうち、加害者になった男性のほう(川崎の事件)は、実の両親ではない親族に育てられ、十分な学校教育を受けられなかった(いとこたちは私立に学んだのに)ことが恨みの発端らしい。
他方、被害者である男性のほう(練馬の事件)は、裕福な家庭に育ちながら、自分が無理やり教育を受けさせられた結果、入学した有名私立校でいじめにあったことが恨みの発端らしい。
川崎の事件と練馬の事件とは加害者の背景が対照的だ。きちんとした教育を受けられても・受けられなくても、恨みの発端になるということだ。
教育を受けられても・受けられなくても、どちらの場合でも「お前の言うとおりにやったから俺の人生、失敗した」ということらしい。
自分の人生が上手くいかないから他人に責任転嫁したいのだろう。
社会経験がない中学生や高校生がそう言うならばまだ分かる。でも、40過ぎた大人が自分の人生を他人のせいにするのは違和感がある。
本人が自分の人生をどうしたいのかを納得したうえで腹をくくるしかないと思う。
進路に関する判断
このような事件が起こると身につまされる。
特に発達障害を持っていると、仕事が上手くいかずに定職につけないことが往々にしてあるだろう。
自分の子どもが今後の進路選択を決めるときにはどうすればよいのだろう。
やっぱり、進路に関する最終的な決断は子ども本人に委ねるしかないのだろう。
自分は何が好きなのか・何をやってみたいかを小さい頃から意識するよう導くことが必要なのだろう。
進路選択
一昔前に比べて最近は大学や専門学校の学費が高い。大学の学費は平均して年間100万円(文系)、年間200万円(理系)である。
子どもの進路選択が上手くいかずに、進路を選び直すことだって多々あるのだが、とにかく学費が高いので、簡単に進路を選び直すことが難しくなっている。
子どもが奨学金をもらって進学するという方法もある。
けれども、なにせ学費が高いので、進路を選び直した場合、学費に充てるための奨学金の額はどんどん膨れ上がり、子ども自身が奨学金を返済するのがますます大変になる。
だから、これからは「とりあえず大学に入ってから進路を考える」よりも、もっと早い段階(高校あたり)で自分が好きな道に進んでみるほうが良いのだろう。
そして、本気でやりたいことが見つかった時点で大学に入学するほうが、これからの時代の人生に合っているような気がしている。
そのほうが、本人にとっても家族にとっても金銭的な負担が少ないから、思い切った決断ができる。
義務教育の大切さ
当たり前だけれども大切なこと、義務教育(小中学校9年間)の勉強をきちんとしておけば、どういう進路選択をしたとしても、なんとかやっていけると思う。
義務教育での勉強は基礎トレーニング・筋トレだ。
義務教育は大切だと改めて思う。
我が家の長男も、義務教育の勉強まではサポートするから、その後は自分で進路を決めて自分の足で歩いて行ってほしい。