新型コロナウイルスの流行による休校に起因して突如浮上した「9月入学」という選択肢。
「どさくさに紛れてやるべきではない」と養老孟司先生が先日テレビでおっしゃっていた。
私も同感だ。
受験生には何らかの配慮があるべき
来春受験を迎える受験生には何らかの配慮があるべきだ。
受験生に対し、
・卒業までの学習内容を減らして数年間かけて遅れを取り戻す
・受験の際の試験問題には遅れた分については出題しない
などの配慮を行う案もある。
そもそも、来冬に新型コロナウイルスが流行して受験すらできない可能性がある。
受験会場はふつう「3密」だ。
来冬に受験ができないことを見越した対策が必要だろう。
たとえば、来年・再来年は特例として6月受験・7月受験を認めるという類いのものを考えておいたほうがよい。そうしないと、受験直前で受験中止なんてことになれば、受験生はみんなパニックだ。
9月入学の導入などを今から検討し始める前に来冬の受験をどうするかをまず検討するべき。
大学の経営のための「9月入学」には反対
「日本は少子高齢化だから大学生の数が年々減っていく。大学の定員を補うために、外国からの留学生の入学を増やして大学の経営を安定させる。そのためには、諸外国と同じ9月入学を導入したい」
こういうふうに、大学の経営に重きを置いて9月入学を導入するのは反対。
大学が9月入学導入を歓迎するのは、諸外国と同じ9月入学にすれば外国人留学生を受け入れやすいからだ。
でも日本語がネイティブの学生(以下、端的に「日本人の学生」という)にとって、日本語で大学の授業を受けるほうが学問を理解しやすいに決まっている。
特に理工系の場合、修士課程くらいまでの基本的な知識を日本語で勉強できることは、日本人の学生にとって大きなメリットだ。
なのに、なぜ理工系の授業を英語で受けなければならないのだろうか。
研究についての新たなインスピレーションが英語で想起されるはずがない。
日本に住んでいる日本語ネイティブなのに、日本語でも理解するのが難しい学問についてわざわざ英語で授業を受けるなんて、イノベーションを阻害しているとすら思える。
日本の技術水準をこれ以上低下させたいのだろうか。
「留学生を呼び込みたい」という大学の経営上の都合で9月入学を導入するなら9月入学には反対だ。
「子どもたちのために9月入学を」と表面的に謳いつつも、実は子どもたちのためではなく、経営上の理由で9月入学を導入しようとするのは小賢しい。