最近は「発達障害」の存在が広く知られるようになってきた。
そのせいもあるのか、保護者会で「配慮(合理的配慮)のお願い」をする保護者が少しずつ増えている。
長男が小学校低学年の頃にはなかったことだ。
「配慮のお願い」といっても「うちの子は活発過ぎるところがあって」・「うちの子は好奇心旺盛過ぎて」・「うちの子はのんびり屋さんで」みたいな表現でそれとなく発達障害(グレーゾーン)を伝える保護者もいれば、「発達障害の診断を受けています」とはっきりと言う保護者もいる。
最近は、後者の「診断済みです」とはっきりとおっしゃる保護者が増えつつある、と感じる。
極端な話、小学校低学年のうちは「配慮が要らない子なんて、いないんじゃないか」と思うほど、どの子も個性的である。
学校生活を送っているうちに、高学年になるにつれて子どもたちもたくましくなっていくから、配慮が必要なくなるケースも多い。
のんびり屋の長男もそんな感じだった。
長男は小学校入学の頃、書字が不安だったのもあって「文字がよく見えるよう前のほうの席にしてください」と学校側にお願いした(小学校入学「配慮のお手紙」について)。
けれども、それ以降は、学校側に配慮のお願いをすることはなかった。
学校側は長男に対して独自にそれなりの配慮をしていたと思うが、小学校2年生以降は、親である私から「配慮をお願いします」とお願いすることはなかった。
長男は、自分でなんとか工夫して学校生活を乗り越えていったと思う。
高校生になっても「合理的配慮」を求めるのか
長男が通う高校はレベルが高くないこともあり、いわゆる発達障害の生徒も少なからず在籍している。
中学生までずっと特別支援を受けてきた生徒もいると聞く。
実際、高校生になっても保護者会で「配慮のお願い」をする保護者が居る。
これには驚いた。
何かにつけ「配慮おおおおおおおお!」というスタンスなのだ。
高校生の子どもへの配慮を訴えるその保護者はおそらく、とても几帳面な方なのだろう。
今までずっと、医師や心理士と言った専門家から「配慮をするよう、周りに働きかけてください」と言われて続けてきて、その通りに実行しているのだと思う。
担任の先生のほうがむしろ「(発達障害について)そんなに気にされなくても大丈夫ですよ」というスタンスである。
「朝、起きられない」・「疲れやすい」・「暗記が苦手」・「過集中する」・「数学ができない」…すべて「障害」のせい。
それでいいのか。
せめて「疲れにくい体」作りをしていると楽(らく)なのだが。
長男について小2以降は学校側に配慮を求めなかった私から見ると、小学校入学から小学校・中学校を経て高校に至るまでの長い間の「親としての立ち位置」が自分とあまりにも違い過ぎると感じる。
「個性的な子どもの保護者」である点で共通するなのに、こういう保護者とはきっと分かり合えないだろうなあ…と思う。