次男(小2)の担任の先生は、昔ながらのきめ細かな指導で「家庭学習(宿題)は必須」という方針だ。
おかげさまで、次男、2年生に進級してたった1か月でしっかりとした字を書くようになった。
担任の先生が「昔ながら」の「姿勢よく・ゆっくり・とめはねに注意して」字を書くように指導しているおかげである。
有難いことに、ことし一年は学校について心配しなくて済む。
それにしても「担任の先生の力量に個人差がありすぎる」と実感する(地域によっては新採用教員の大学偏差値が50を切る…日本が”教員の質低下”を避けられない構造的原因)。
次男は「毎週の漢字テスト」に備えて勉強する習慣がついたし、授業でもきちんとノートをとっている。
毎週の漢字テストのための漢字練習&ノート取り…小2の次男はすでに、高校生の長男とほぼ同じルーチンで学習している。
次男、すでに、このまま中学校・高校に入学してもやっていけそうな感じである。
でも「こんな感じでいいのか」とも思うのだ。
これからもずっと「先生ひとりが黒板の前で板書をし、生徒が必死にノートをとる」昔ながらの授業スタイルが中学・高校・大学…とずっと続くのだろうか。
これからの時代、先生と生徒の間・生徒間での双方向にやりとりをする授業を取り入れる必要があると思う。
家庭学習(宿題)は必要か
最近は「保護者が家庭でこどもの勉強をみてほしい」と学校が言いにくくなっている。
共働きで忙しい保護者が増えて「こどもの勉強をみること」が保護者にとって負担になっているからだ。
「勉強を教えるのは保護者ではなく学校の仕事でしょ!」というスタンスの保護者も少なくない。
学校の先生の考え方もいろいろだ。
次男の担任の先生のように「低学年は親が学習をサポートすべき」というスタンスの先生もいれば、「教師が家庭学習(宿題)に頼るのは良くない」というスタンスの先生もいる。
「家庭学習(宿題)に頼るのが良くない」理由は、「家庭学習は保護者の教育熱心さに依存する。教育に関心がない保護者は家庭学習の面倒をみる余裕がないことが多い。家庭学習が定着するかは保護者の熱心度に依存するので、家庭学習に頼ってはいけない」ということらしい。
なるほど、それも一理ある。
宿題を出す代わりに、漢字を覚えることも計算も学校ですべてやってくれるのであれば、そっちのほうがいいに決まっている。
私自身は長男・次男の勉強をみてきたけれども、宿題に費やす時間をこどもたちの余暇や趣味に回せるほうが嬉しい。
けれども、今みたいに授業時間が詰め詰めの状況では、学校で漢字を覚える時間や算数の計算をする時間は作れないのだろう。
私自身は、小学生時代に漢字をどうやって覚えていたのか、記憶がまったくない。
小学生の頃に漢字練習帳ノートを買った記憶はあるから、おそらく漢字を書いて覚えていたのだろう。でも、辛いと思うほど漢字練習をさせられた記憶はないし、小学生時代に漢字テストを受けた記憶が残っていない。
中学生の頃は国語の授業で漢字テストがあったことを覚えているけれども、高校生になってからは国語の授業で漢字テストをやった記憶がない。
案外、今よりも昔のほうが漢字学習に甘かった気がする。
わたしからみると、まるで中学生のように出題範囲を決められ国語の授業で漢字テストをやっている高校生の次男がちょっと気の毒である。