新学期と新しい担任

新学期が始まった。

クラス変えがあって新しい担任になった人も多いことだろう。

「今年はハズレっぽい」「今年はどうやら当たりかも」という会話が保護者の間で交わされる。

長男が通う小学校では毎年クラス替えがあり、担任も原則、毎年変わる。

長男はこれまでの小学校生活で新しい担任を6回迎えてきた。

これまでの経験から、担任が誰であるかは、発達凸凹くんにとって影響が大きいのは確かだ。

ただ高学年よりも低学年のほうが担任の影響力は大きいだろう。

小学校高学年になれば少しずつ自我が目覚めてくるので、学校生活は担任だけの問題ではなくなってくる。
中学校・高校は教科担任制なので「担任がすべて」ではなくなってくる。

 

新しい担任への伝達事項

発達障害に関する本で「子どもの特性を記した簡単なメモを新しい担任に渡したほうがよい」とのアドバイスを見かける。

実際、我が家も療育機関からそう勧められた。

経験から言うと、確かに、低学年では子どもの特性を記した簡単なメモを新しい担任に渡しておいたほうが良いと思う。

引継ぎがきちんとなされていないな、と感じたこともあるからだ。

高学年では必要に応じて(ケースバイケース)だろう。

小学校低学年の頃の長男は書字が苦手だったので、低学年の頃は席を前のほうにするよう配慮をお願いしていた。

高学年になった長男は字が汚い・忘れ物が多い等の課題はあるものの、それはあくまで長男本人の問題であって、人様に影響を与えるものではない。

長男、今では教室で特別な配慮がいらないので、今年は担任には何も申し送らなかった。

 

1年生の担任

今は、発達凸凹くんが就学するにあたり、幼稚園や保育園の先生が一生懸命、申し送りの書類を作成してくれることが多い。

長男の場合、就学前に保育園の先生が管理職と面談して、特性を管理職に伝えてくれていたようだ。保育園の先生が色々と配慮をしてくださったことは本当に有難かった。

けれども、保育園や幼稚園の先生のそんな配慮と裏腹に、1年生時の担任は幼稚園や保育園からの申し送り事項をたいして見ていなかった感がある。

入学式の後、長男の特性を記したメモを1年生の担任の先生に渡したとたん、メモを見てその担任は明らかに迷惑そうな顔をしたのを覚えている。

こちら側が配慮を申し出た点は「長男の席をできるだけ前のほうにしてほしい」ことだけで、担任の負担を特段増やすものではなかった。

その程度の配慮であっても1年生のときの担任の先生は「ああ面倒くさい」「こんな面倒くさい子がいるクラスは引き受けたくなかった」感アリアリだったので、非常にガッカリしたのを覚えている。

でも今は、保護者が学校側に合理的な配慮を申し出た場合、それが過度の負担にならない限りは学校側は配慮しなければならない。

なぜなら、日本が2014年に「障害者の権利に関する条約」に批准したからだ。

障害者の権利に関する条約では、障害者への「合理的配慮」が義務づけられている。

これに伴って、小中学校で少しずつ「合理的配慮」という考えが浸透してきているのを感じる。

けれども、我が家が経験したように「合理的配慮」に関する意識が薄い教員もまだいる。

担任の先生に配慮を申し出たのに拒否された場合は、配慮の負担がそんなに重くないものであれば、管理職に話を伝えるとすんなり話が通る場合がある。

今、学校現場は人手不足で新人教育に十分手が回っていない感がある。

だから、担任の先生が配慮にNOと言ったとしても、担任が単に無知なだけかもしれないので、管理職に話を通したほうがいいかもしれない。

管理職との話し合いで「合理的配慮」という言葉を出せば、学校側は配慮を無下には断れないと思う。

 

4年生のときの担任

1年生の担任の先生とは対照的に、4年生の担任の先生は、先生のほうから「長男君を指導するうえで気をつける点を教えてほしい」とご連絡を頂き、その後も担任をされている間に何度か打ち合わせをさせて頂いた。

4年生の担任の先生は、保護者と良好な関係を作ることが上手な、非常にコミュニケーション能力が高い先生だった。

長男は4年生の担任の先生が大好きで本当に楽しく学校に通っていた。

子どもは、担任の先生が自分のことが好きかどうかは本能的にかぎ取るのだ。

長男は、発達凸凹くんにしては意外?と思えるほど学校が好きなので、入学してから今まで基本的に楽しく学校に通っている。

なかでも2年生・4年生の担任の先生には本当に良くして頂いたので、2年生・4年生の頃の長男は学校に行くのが本当に楽しそうだった。

このように、担任によって対応にはとても大きな開きがあるのだ。

私の偏見かもしれないが、今までの経験から言うと、有能な先生ほど発達凸凹くんを受け入れる心の余裕がある。

有能な先生は、発達凸凹くんの対応いかんでクラス運営に影響が出るということをよくご存じなのだろう。

 

始業式から帰ってきたときの表情に注目する

今までの経験から、始業式の日に家に帰ってきたときの長男の表情で、その年の担任の先生が長男にとって当たりかハズレかが分かるようになった。

長男、当たり担任のときはかなり上機嫌で始業式から帰ってくる。

一方ハズレ担任のときは微妙な顔つきをしている

今まで5回とも予想が外れたことはない。

さて、今年はどうだったかと言うと、長男、今年は「可もなく不可もない」という雰囲気を醸し出して小学校から帰ってきた。

長男も少し大人になったので、小さい頃のように感情が表に出なくなったのかもしれない。

 

ハズレ担任と当たり担任

長男の場合、1、3、5年は長男にとって「ハズレ担任」で、2、4年は長男にとって「当たり担任」だった。

長男のようにひと手間かかる子どもがいるとクラス運営は大変だろうから、ハズレ担任と表現するのもちょっと気が引けるのだが。

ハズレ担任は長男のことを生理的に受け付けないのが親の直感で分かる。

一方、当たり担任は長男のことを心から可愛がってくれるのが親の直感で分かる。

新学期はどんな子どもでも、新しい担任について多少なりとも不安に思うものである。

当たり担任の先生方は、新学期にあたり不安に感じている子どもたちの緊張をほぐし、安心感を与えるのが上手なのだろう。

 

なぜ当たりとハズレを繰り返すのか

それにしても、なぜ隔年で当たり担任とハズレ担任が交互に繰り返されるのだろうか?

あくまでも私の推測だが、クラス替え会議の際に、1、3、5年のハズレ担任は長男のことを「大変だ、大変だ」と管理職に訴えるので、次年度は実力がある当たり教師が担任になる。

2、4年時の当たり担任が1年間任務を全うした後のクラス替え会議で「長男君、大丈夫ですよ」と評価するので「それじゃ、引き受けてみましょうか」ということで、次年度はハズレ教師が担任になる。

それを隔年でそれを繰り返して今に至るのだと思う。

ただ、長男の担任を引き受けて頂いただけで感謝しなければならないのは確かだ。

 

 

今年の担任

6年生になった長男は少し大人になってきて「担任の先生がすべて」という価値観から少しずつ抜け出しているのかもしれない。

ともかく、今年の担任の先生が大人への階段を一歩ずつ昇っている長男に良い刺激を与えてくれる先生であってほしい。

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