今の学校は「普通に成長した子」しか居られないらしい。
「普通に成長した子」というのは肌感覚でいうと6~7割くらいだろうか。
手厚い支援級・野放しの普通級
先日、私が住む自治体の支援級(知的・固定級)の生徒の作品展を見たとき、中学の支援級(知的・固定級)の生徒の作文がしっかりとした漢字で書かれていたことに驚いたことは以前書いた。
私が住む自治体の支援級(知的・固定級)は少人数制でしっかりと面倒を見てもらえるので、保護者からの評価も高い。
けれども、中学生でしっかりとした漢字で作文が書けるならば支援級に居る必要はないんじゃないのか、とも思う。
支援級に留まっている理由が何かあるのかもしれない。
ただ、一部の子どもたちだけが手厚い指導が受けられるのはおかしい気がする。
手厚い指導が受けられないまま普通学級にいる生徒のほうが大部分だからだ。
特別支援教室:閉ざされている印象
私が住む自治体では、IQが70を超えると普通学級に入学し、必要に応じて特別支援教室(巡回)を利用することになる。
次男が通う小学校にも特別支援教室というのがある。
しかし、特別支援教室を利用していない子どもとその保護者には、特別支援教室の実体がよくつかめない。
特別支援教室?何それ?どこにあるのって感じだ。
長男(特別支援教室は利用しなかった)の頃からそうだったが、特別支援教室を利用しない子どもとその保護者には、特別支援教室で何が行われているのか・どれくらいの人数が特別支援教室を利用しているのかがまったく分からないのだ。
学校の中で特別支援教室は閉じた存在のままだ。
これはとてもまずいことだ。
特別支援教室での授業が閉ざされていると、授業の進歩や改善がないからだ。
もちろん、こどもが特別支援教室を利用していることを公にしたくない保護者もいるだろう。特別支援教室に通っていることを理由にしていじめられるのを心配する気持ちもよく分かる。
特別支援教室に漂う「福祉臭」
そして、次男が通う小学校の特別支援教室に漂う「福祉臭」が気になる。
特別支援教室にいる専門員・支援員の方々は実に「福祉」っぽい雰囲気をまとっている(申し訳ないが正直言ってそう感じる)。
特別支援「教育」として工夫が凝らされた学習ができるから特別支援教室に通っているのではなく、普通級に居場所がないから特別支援教室に居る子どもが多いからではないだろうか。
つまり「特別支援教室=普通級の疲れを癒す場所」みたいな感じ。療育が保護者の愚痴吐き場所になっているのと似ている。
特別支援は「教育」ではなく「福祉」になっている。
言葉は悪いが、外から見ているとそう感じるのだ。