長男の言葉の発達が早くないと気づいたのは1歳3か月頃だろうか。
そう。長男の始語はたしか1歳3か月頃だった。
それまではこどもの発達について、なんにも知らなかった。
こどもの言語力を伸ばす方法を急いでいろいろと調べてみたところ「語りかけ育児」というのがあることを知った。
語りかけ育児とは
語りかけ育児を一言で言うと「こどもにいろいろと話しかける」育児と言ったらよいだろうか。
たとえば、こどもと2人で道路を歩いていたとき、道端に花が咲いていたとしよう。
「わあ、花が咲いているね。黄色い色がきれいだね~」と子どもに話しかけるのだ。
今思えば、ただ話しかけるのではなくて、
花を見て「これなんだろう?」という想いをアイコンタクトで伝えたり、こどもと想いを共有することのほうが大事だ。
我が家の長男の場合、語りかけ育児を始めてからすぐに、長男の言葉の数は飛躍的に伸びた。
ただ、それが語りかけ育児が功を奏したのか、長男はもともと言葉がそれほど遅くはなかったせいなのかは分からない。
語りかけ育児の弊害
ところが最近(今頃)になって、語りかけ育児の弊害についての記事を見つけた。
↑のブログ「虹色教室通信」は有名なブログなので、ご存知の人は多いと思う。
虹色教室通信は長男が小さい頃によく訪れていた。
下の子がいるので最近また、よく訪れている。
今頃になって、この虹色教室通信に語りかけ育児の弊害についての記事があることに気づいた。
「語りかけ育児」の弊害と「語らなさすぎる育児」の弊害によれば、こどもに強迫的に語りかけをする結果として、こどもが精神的に不安定になる(イライラするなど)・逆に周囲に無関心になる等のデメリットがあるとのことだ。
確かに、そう言われるとそうかもしれない。
しかし、そう思う反面、語りかけ育児を知る前は、長男に対してコミュニケーション不足だったとも感じる。同じように感じる人も多いと思う。
だから、語りかけ育児自体はそんなに悪いものではないと私は思う。
語りかけ育児の弊害と語らなすぎる育児の弊害
「語りかけ育児」の弊害と「語らなさすぎる育児」の弊害 というブログのタイトルは、まさに的を得たものだと思う。
語りかけ育児をし過ぎても弊害だし、語らなすぎる育児もやっぱり弊害なのだ。
「語りかけ育児」の弊害と「語らなさすぎる育児」の弊害に書かれている通り、まずは「双方向のコミュニケーション」がとても大切だと今ではよくわかる。
特に1人目育児のときは親も何も知らない・わからない。
だから、藁をもすがる思いで語りかけ育児のような実践しやすい方法を、まずやってみようと思う気持ちはすごくよく分かる。
語りかけ育児の結末は
長男への語りかけ育児を心がけていたのは、長男が1歳半~3歳直前頃までだろうか。
長男のときも次男のときも、語りかけ育児が必要なくなった時点で、意識した語りかけはやらなくなった。
親が語りかけなくても、子どもとの間で双方向のコミュニケーションがとれるようになってくれば、
自然に語りかけ育児はやらなくなるのだと気づいた。
最近は核家族化がすすみ、こどもの周りにいる大人は親だけだったりする。
家庭で親が語りかけないと、子どもは家庭にいる限り、誰にも語りかけられず育っていくことになるから、語りかけて育児するという意識はやっぱりあったほうが良い。
だから語りかけ育児は一概に否定されるものではないと思う。
親がパソコンやスマホに向かっている時間が多いご時世、子どもに話しかける機会は以前よりも減っているのも確かだ。
適度な語りかけを心がけるのはなかなか難しい。
「語りかけが大切」と思う意識を持ち続けることが大事なのかもしれない。