私の場合、
スポーツの才能がないことはこどもの頃に自覚していた。
私はこどもの頃水泳をやっていた。
泳ぐことは大好きだったけれど、
水泳で食っていけるほどの才能はみじんもないことは早々と理解できたので、
水泳にのめり込むことはなかった。
なぜなら、
私が通っていたスイミングクラブに、
後にオリンピックに出場した才能ある選手がいたのだ。
彼女はまだ幼稚園児だというのに、
小学校低学年の私よりもタイムが速かった。
まだ幼稚園児なのに彼女は歯を食いしばって毎日練習していた。
まだ小さいのに根気が違う。
後にオリンピックに出場するまでの十数年間、
彼女はひたすら毎日泳ぐ生活をしていたに違いない。
オリンピックに出場するということは、
そこまでしないと到達できないほどおそろしく高いレベルだ。
私のように子どもの頃にすごい選手を実際に見ると自分は到底追いつけないと自覚し、
深追いしなくなるかもしれない。
集団競技の場合
一方で、集団競技の場合、個人競技とは話が違うかもしれない。
たとえば野球の場合、
凄いエースがひとりいればチームが強くなる。
チームが勝つのはエースのおかげか、
それとも個々の選手の能力が高いのか、
こどものうちはよく分からない。
中学・高校・大学と年齢が上がるにつれて凄い選手が集まってくる。
のちにプロ野球選手になるような凄い選手を見た時点で、
これは到底かなわないと実感するのだろう。
トップまで昇りつめるのは一握り。
ほとんどの人はどこかで自分の才能に見切りをつけるしかない。
自分の能力に見切りをつけるのはつらいことだけれども、
能力を見切る能力も必要なのかもしれない。