医者の引き際

最近、引き際について考えさせられる。

わたしは「ある程度元気なうちに仕事の引き際を決めたい」というポリシーを持っている。

出来る限り仕事を続けたいという思いと、仕事を続けることで周りに与える影響とを比較衡量して、周りが重荷だと感じないうちに、わたしは仕事の引き際を決めるつもりだ。

なぜなら、限界ギリギリまで引退しないで働くことは果たして良いことなのだろうか、と思う出来事が相次いだからだ。

いつまで仕事を続けるかは、あくまでも本人が決める問題だ。

しかし、仕事というものは常に相手がいるものだ。

限界ギリギリまで働くことで相手に負担をかけることもある。

特に「先生」と呼ばれる職業に就いている人が限界ギリギリまで働くことは、相手に大きな負担を強いる場合がある。そう実感した出来事について今日は書く。

 

ある眼科でのこと

長男が、ある眼科を受診したときのこと。

その眼科には、その分野の権威と言われている高齢の医師がいた。

見た目もかなり高齢で、間違いなく80代だったと思う。

待合室で待っていると、長男の診察の番が回ってきた。

高齢の医師が一言「どこの小学校に行っているの?」と長男に聞いた。

そしたら突然、看護師が高齢医師の話を遮るようにして、我々を強制的に別室に導いた。

別室には、高齢医師の息子と思われる医者が居て、診察の続きが行われた。

その分野の権威といわれている医師なのに、診察で我々に聞いたのは「どこの小学校に行っているか」だけ。

看護婦が話をさえぎって我々は別室に連れていかれた。

もはや、まともな診察ができないのでは?と疑うような対応だった。

高齢の医師本人が診察を続けることを望んでいるのか?

それとも、権威ある医師の看板を利用して集客したいがため、高齢医師が診察を続けているのか?

実のところよく分からなかった。

 

ある小児科でのこと

長男が赤ちゃんだったときのこと。

長男が便秘がちなのが心配で近所の小児科に連れて行った。

そこは高齢の小児科医と看護師である奥様の2人で小児科をやっていた。

昔ながらの地元密着の小児科である。

高齢の小児科医はまだなんとか診察ができる状態だった。

問題は、看護師である奥様のほうだった。

「薬はお出したかしら?と言う声が診察室の中から聞こえてきた。

たった今、患者に薬を出したかも分からないようだった。

看護師である奥様は落ち着きがなく挙動不審で、認知症っぽい感じに見えた。

このまま放置して医療ミスでも起きたらどうしようか・地元の医師会に連絡しようかと思っていたところ、ほどなくその小児科は閉院した。

今回紹介したこの2つの例以外にも、引き際について考えさせられる事件が最近、相次いで起きた。

地位が高い人ほど、キッパリと引き際を決めることは難しいのだろうか。

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