作文指導について勝手に思っていること

昨今は、一般入試だけでなく、推薦入試や総合型選抜で小論文を課す学校が少なくない。

大学入試はもちろん、高校入試ですら、たとえば都立高校の推薦入試では作文が課される。

 

入試で小論文が課されている場合、塾や学校で作文指導を受ける生徒は少なくない。

入試で小論文が課されているからこそ、小論文の練習が当然、必要になる。

けれども…本当は、作文指導のデメリットもある、とわたしは勝手に思っている。

 

なぜなら、作文指導を受けると、作文に関して指導者の色がつくからだ。

ただ、小論文には「型」があって、型を学ぶと小論文を書くのは容易だ。小論文の書き方の基本を学ぶ程度ならば、誰かの指導を受けてもいいと思う。

 

本当は、作文指導は受けさせたくない。

作文指導を受けて作文を修正されると、思想まで修正させられる感じがするのだ。

作文指導を受けると指導者の色(思想)まで生徒にうつりそうで怖い。

もちろん「論理の流れが矛盾している」みたいなアドバイスは必要だけれども、「こういう視点論点が必要」みたいなアドバイスは、時には思想を矯正されている感がある、

 

「書くこと」は、もっと自由であってほしい。

「何をどう書こうが、好きにさせてほしい」とすら思う。わたしみたいな人は小論文受験に向かないのかもしれない。

 

わたしは幸か不幸か、入試で小論文がある学校を受験する機会がなかった(私の学生時代は入試で小論文を課す学校が少なかったせいもある)。

だからわたしは小学校・中学校・高校・大学時代に入試のために作文や小論文を練習したことはなかったし、作文や小論文について誰かの指導を受けたことはなかった(書くことについて私が訓練を受けたのは社会人になってからだ)。

 

でもそれで良かったと思っている。

わたしは学生時代、「書くこと」について誰にも指示されたり批評されたりすることはなかった。だから自由に書くことができた。

だからこそ、今でも「書くこと」が楽しい。

 

本当は、長男にも次男にも、作文の書き方を助言したくない。

なぜなら、彼らの書く文章に「わたしの色」がついてしまうから。

こどもたちにとって「書くこと」はもっともっと自由であってほしいのだ。

 

本当は、入試で小論文を課す学校は長男次男の受験候補から外したいのだ。

でも、そうも言っていられない。それが残念だ。

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