何年か前「ブルシット・ジョブ」という本が話題になった。
「ブルシット・ジョブ」とは「クソどうでもいい仕事」を意味する。
思想家の内田樹氏が大学に勤務している頃に一番衝撃的だったこととして、90年代になると、部活動を「ブルシットな苦役」として耐えた自分の我慢強さを評価してほしいために、推薦入試の自己PR欄に「中高でのクラブ活動での華々しい成績」を記載する学生が表れたことだと述べている。
そのような学生に「大学入学後もその部活動を続けるのか」を聞くと「その部活動を続けたい」と返答したのは25人ほどの中に2人だったそうだ。ほとんどの学生たちは部活動を嫌々ながら続けていた、ということだ。
今の中等教育ではそういう能力が高く評価されるのだと内田氏は実感したそうだ。「中等教育が壊れてきた」と実感する一つの証拠だと内田氏は述べる。
この話を聞いてなるほど、と実感した。
私は80年代に中高生だった。
80年代の公立学校は今の学校と比べると、ずっと封建的かつ画一的で教師はかなり威圧的だったが、授業にせよ部活動にせよ「ブルシットな苦役」だと感じるような活動はなかった。当時「部活の先輩に90度の角度でお辞儀をしながら先輩が通り過ぎるまで何度も挨拶を繰り返す」みたいな馬鹿馬鹿しい強要はあったけれども、それが嫌ならその部活を止めればよいだけのことだった。
そして、80年代では今みたいに「部活動をやっていると調査書にプラスになる」みたいなことは言われていなかった。
ところが今の公立学校(特に公立中学)はブルシットな(=クソどうでもいい)苦役だらけである。
公立中学では、部活で華々しい活躍をする生徒がカーストの頂点にいる。「部活動をやっていると入試で加点する」という私立高校すらある。
そして、長男が通った公立中学では1回の定期考査につき1科目50ページ以上のワーク類を提出物として課す(このやり方を採用している公立中学はまだまだ多いだろう)。生徒たちは大量のワーク類に解答を丸写しして書き込むだけ。これを「ブルシットな苦役」と呼ばずに何と呼ぶのだろう。極めつけは、このくだらない宿題に対して誰も異を唱えないことだ。
「解答を丸写しする」=「写経」みたいな感覚なのだろうか。とりあえず解答を丸写ししてでもワーク類の空欄をすべて埋めれば「2」がもらえるのである。
今の公立中学は昔に比べると一見、マイルドで先生方は穏やかでフレンドリーだけれども、「ブルシットな苦役」ばかり生徒に課し、ブルシットな苦役に耐えられる能力(=奴隷耐性)がある生徒が高く評価される。これが、ここ30年ほどの中等教育の特徴かもしれない。80年代までの学校では考えられなかったことだ。
公立中学は奴隷耐性を身につけるために通う場所なのだろうか。そう思うと、次男を公立中学に進学させる気にはなれない。
封建的かつ管理型で画一的だった昔の公立中学よりも今の公立中学のほうが居心地が悪いかもしれない。公立中学で生徒の不登校が激増しているのがその証拠である。